◆トコトコ日記

 散歩はほぼ毎日していますが、これを毎日書き留めるはおそらくできないと思います。

 でも可能な頻度で綴っていけば、それなりの日記になるなと思い、気の向くままに書き留めていこうと思います。

 

2024/11/25

 秋が深まり、朝の冷え込みも本物になってきた感がある。今朝、快晴、雲一つない。北風がそこそこ強い、でもビル風のせいか?

 庚申様の通りで、1羽のカラスと同道した。通例10mも近くに人が近づけば直ちに飛び去るものだが、ほんの数mの距離で、しかも20m近くも一緒に歩いた。一緒といっても並行ではなく、彼(彼女?)の方が前で、彼はやや右に、左にと頭を触れながら、速度もちょっと速くなったり、緩めたりと、そんな感じである。そして、気になった何かがあったのか、私に道を譲って、そのモノに近づいて行ったのである。それにしても、市街地のカラスは人を警戒しなくなってきている。

 ヒヨドリは、ところとどころで見かけたが合わせて数羽で、きょうは少なかった。

 

 いつもの第一中学の風速計は、東(?)を向いて、回ってはいなかった。(アメダスの風向は北北東)

 

2024/11/19

 ちょっと、バス旅に行ってきたので、その様子を入れます。

 11月18日から19日、福島・会津方面へのバスツアーに参加した。このツアーへの申し込みは9月であったか、この夏の暑さをもってしても、ひょっとしたら、時期外れではないかと心配したものであったが、どうしてどうして、素晴らしい紅葉狩りとなった。加えて、この秋一番の寒気の伴う前線の通過で、18日は夏日模様、そして、19日は一転、雪を見たりしたの3つの季節を体感したのである。

 主な行程は、新白河まで新幹線、後はバスで、⇒塔のへつり⇒大内宿⇒圓蔵寺⇒JR只見線⇒ホテル、2日目は、同じく、⇒土津神社⇒五色沼⇒鶴ヶ城公園⇒新白河、というもの。きわめて盛沢山ながら、しかし、全くキツさを感じさせない快適なツアーであった。

 塔のへつりは、小さな川の上流域にあるが、100万年かけて自然の作り出した大きな奇岩、怪石が目の前まで押し出してそそり立つもので、なるほどの渓谷美であった。その他、個別の場所については、ここでは説明、感想を割愛するが、バス旅にありがちな「せわしなさ」がなく、ゆっくり見てまわれたな、という印象の強い、いわばラッキーなものであった。

 紅葉はまさにどこででも味わえたが、個別の場所では圓蔵寺の境内、土津神社の階段脇の幅・高さが30m程もある、なだらかな坂の一面に落ちた紅葉が印象的だった。バスから遠景に映るものでは、山そのものが全体として紅葉しているその姿の美しさは、これは初めてかな、と感慨を新たにした。しかも、その美しさは、どこか一か所というものではなく、訪問地から訪問地への移動の間、常に見えているといった、とにかく飽きの来ない、美しさの連続であった。

 

 あと、特筆したいところは、過去そこそこの回数のバス旅の中で多分1番の素晴らしい、添乗者の随行ぶり、そしてバスのガイドさんのその熱心なガイドっぷりで、これらには大いに感心し、感謝もしたものだった。

 

2024/11/16

 曇っている。1時間近くのウォーキングの終わりごろには、少しだけ雲間の薄い青空の面積が増えて、しかし、まだ全天の1割2割以下のようである。曇りである。

 ヒヨドリはきょうも元気で、ツバメほどの猛スピードで飛びぬけるもの、あるいは、ひらり、ひらり上下にのこぎり波状に、ゆっくり飛んでいくもの、いろいろであった。こぎり波状に飛ぶもの、昔懐かしいものに似ている。それは、ゴムヒコーキのそれも精巧につくられたものを、敢えて前後の重心をずらして飛ばしたときの飛型に似ている。すなわち、主翼を少し前にずらして飛ばすと、少し上昇しては逆に頭を下げて下降し、また上昇して、という具合に波をうって飛ぶのである。ヒヨドリの場合、3,4回、羽根を羽ばたいてはそれを休め、というのを繰り返している。どういう目的か、わからない。

  いつもの第一中学の風速計は、西を向いて、回ってはいなかった。(アメダスの風向は西北西)

 

2024/11/10

 曇っていて、多少寒さを感じながら歩き始めた。空を見上げれば、層雲でもない、積雲でもない、両者を足して割ったような雲が空一面に広がってるが、少しは、晴れ間も覗くといった状況である。

 きょうも、ヒヨドリを求めつつ歩いていたところ、府中公園にさしかかったところで、ヒヨドリにしては機械音が混じっているなという音に耳をそばだてながら歩を進めると、なあんーだ、彼のラジコンカーか、と気づいた。彼には前に声掛けしたことがあるが、あまり話が好きでないようで、なので、今回は、少し歩を緩める程度で過ごしていった。

 ヒヨドリは何か所かで会えた、ひとつは例の「従妹木」で、この大きな木に入っては出てきて、また入るといった体である。もう一か所は、「カクヤス」の交差点から「ケヤキ並木北」の交差点まで間の、ケヤキの木の、まだ生い茂った感じの残る大きな枝があるその木々のところである。ヒヨドリは、ピューとキューとを足して割ったような音で、その発生始めは強く、その後はそれを少し弱めながら長く伸ばす、そんな鳴き方である。尾羽の独特な形を見ながら、この音を聞いて、大変満足である。

 

 いつもの第一中学の風速計は、西を向いて、回ろうかどうしようか、迷っている感じであった。(アメダスの風向は北西)

 

2024/11/03

 昨日の元台風21号の低気圧、その低気圧一過で、今朝は真っ青な空であった。北寄りの風が強く、しかし、寒いといったところはなく、心地よい。いつものように、府中駅の東側から甲州街道までを北東側に斜めにつなぐ「庚申様」通りを抜けて歩いた。

 しばらく前から、ヒヨドリに会う、その数を数えるのが習慣になっている。比較的多い場所は概ね一定である。その一つが、府中公園の東側から、北側を東西に通ずる道路との交差点付近にある大きな何本かの木、そして対向する側の電線辺りである。きょうの場合、十羽を超えるヒヨドリがそこを行ったり来たりして飛んでいた。

 第一中学の校庭では、朝早くから野球部員が対向に並んでキャッチボールをしていたが、それに目を遣るように校庭を眺めると、キラキラ光る体で校庭全体が輝いて見えた。まるで、よるの星空のようであるのだが、工程にガラス片があるわけもなかろうとて、多分土の中の微細な小石ではないかと思われた。

 いつもの第一中学の風速計は、西北西を向いて、少し勢いよく回っていた。(アメダスの風向は北北東)

Copilotに訊きました

 ➡「庚申信仰」とは、人間の体内に「三尸(さんし)」という三匹の虫がいて、庚申の夜に人が眠っている間に体内から抜け出し、天帝にその人の罪を告げるとされています。そのため、庚申の夜には眠らずに過ごすことで三尸が体内から抜け出さないようにするという風習がありました。

 

 

2024/10/29

 きょうの天気予報によれば、午前中は曇りで、のち雨、夕方からは本降り、という。朝の気温が17度で、その後も横ばい、とのこと。

 いつもより、1時間ほど遅く家を出て、借用菜園を確認して、後、いつものコースを歩いた。

 トピックが2つある。一つは、菜園のキュウリに花がついたこと。5cmほどの実の子供の先に、夏の場合と変わらないきれいな黄色の花を付けている。育つかどうかわからないが、なにか愛おしい心地がした。

 もうひとつは、見かけたヒヨドリの数の多さである。いつもより遅い時間帯であることを除いて違うことが見当たらないが、30羽を超える数に遭遇している。ヒヨドリなので、群れという感じはややしない。ややしないという表現はおかしいが、ムクドリのような群れ方はしないが、全く個々に単独というわけでもない。農工大脇の「楓とプラタナスの従妹木」(これ、自分の名付け)と、その向かい側にある、やや大きめのハナミズキの間を行ったり来たりしているものも何羽かいた。何が、というわけではないが、尾羽の長さ、飛んでいるときのその軌跡が鋸歯状になっていること、など、つい見続けてしまう。

  いつもの第一中学の風速計は、東南東を向いて、とぼとぼと回っていた。(アメダスの風向は北東)

 

2024/10/20

 夜中、いつまでも居座る夏の気団を、この秋一番の寒気団と強い高気圧が、そこのけ、そこのけと言わんばかりに押しのけていった、そんな朝であった。気温と風を考慮に入れて、やや着込んで散歩に出た。思った以上に風は強く、前から来る人の帽子が飛ばされ、自分のも飛ばされそうになった。

 今日の場合、小鳥の追跡、観察どころではない。とにかく、風が強い。バリッと大きな音がして身を細めたが、近くの壁に貼られた大きなポスターが半分ちぎれる音だった。歩道では、枝元の太さが1cmを優に超えるような比較的大きな枯れ枝が折れて散っていたし、黄色い木の葉はもとより、まだ緑濃い葉っぱを伴った小枝まで引きちぎられたように、落ちていた。美術館通りのハナミズキの木は、高さ6,7mはあろうか、その木も、幹の上の方など、しなって見えた。美術館通りでは、建物のないところからの北風を真横から受け、よろけそうになって歩いた。小鳥の観察どころではないのは実にそうだけれど、中程度大の鳥が風に向かって飛んでは飛べずに、向きを変えたとたん勢いよく飛ばされていく、そんな様子が見られた。

  いつもの第一中学の風速計は、きょうばかりは、西南西から西北西の間で目まぐるしく向きを変えて、羽根の形が見えないほどに勢いよく回っていた。

 

2024/10/12

 けさは、日の出から1時間近くたって散歩にでた。いつもより遅い時刻だ。快晴、雲一つないとはこのことのよう。風もほとんどなく、ときおり西寄りの風が、さよさよと吹く感じ。

 以前、スズメが減少していると嘆いたことがあったが、きょうの小鳥たちは至って元気であった。スズメにも、間近で出会えた。気づかずに目の前2.3mの距離まで進んだら、数羽が一緒に飛び立って、すぐ脇のイチョウの木の葉がこもったところに隠れいった。おもしろいと思ったのは、数羽のどれかが気づいて動き出し、後の残りがついて動き出したのか、あるいは、数羽がほぼ一緒のタイミングで気づいたのか、分からないほどに一斉で、これになぞめきを感じたのであった。

 スズメだけではない、ヒヨドリ、そして多分ムクドリ(数十羽の群れ)、どれも元気そうに思えた。空気が乾燥しているせいか、鳴き声も響き渡る声で聞こえ、あたかも元気に会話しているように感じられた。

 もうひとつ、甘酸っぱい匂いに出会えた。匂いに出会えた、なんておかしいか、でもそういう感じ。もとより、キンモクセイ。まだ、ゴマ粒ほどの花の芽というかつぼみだが、匂いをかすかに醸して、通り過ぎかけたその木を見入るために少し戻って、観察した。そう、ゴマ粒ほどの花の芽というかつぼみ、なのだ。一週間もすれば、至るところのキンモクセイが咲いているに違いないだろう。

  いつもの第一中学の風速計は、西南西を向いていたが、回ってはいなかった。

 

2024/10/05

 10月に入っても、気温の上がり下がりは激しく、都心ではきのうも真夏日を記録した。そしてきょうは一転、日中も平年よりやや低く推移しそうである。

 桜の木の、葉の落ちるのは早く、そして速く、第一中学の門柱脇の桜の木では、残っている葉は数えるほどになっている。その桜の木の葉は風でひらひらと揺れているのだが、風速計の羽根は回りそうで回らない、そんな体であった。

 数日前に、Webニュースや一部新聞で報じられていたが、近年、スズメの棲息が急激に減っていて、絶滅危惧種並みとの表現である。そういえば、地表近くをあちらこちらへと動き、人が近づくと草むらや生垣の下にそっと入っていく、そのスズメたちが少なくなっていると、うなづくのである。いつもの関心も、ありふれたスズメたちではなく、ヒヨドリ、モズ、ムクドリに向いていたこともある。きょうも、ヒヨドリや、ムクドリ(またはモズ)、カラス、ハトなどの姿は見かけたが、スズメはわずかにその鳴き声で、あぁいることはいるな、と思えた程度である。

  スズメの激減がほんとうなら、実に残念である。

 

2024/09/28

 あぁ9月ももう終わりか。実に速い。そう、昨日は歯科の定期チェックで次の予約を取ったらそれはもう12月の末。今年も終わりではないか。

 なんて、滅入ってもいけない。きょうも6時前からウォーキング。暑さがぶり返すと予想されていたが、ここ数日はかろうじて真夏日直前まで。予想より日差しが少なかったようだ。この朝の時間帯は、湿度は高くとも結構涼しいものだ。1、2週間前から虫の音がめっきり少なく小さくなっていたと感じていたが、まだ同程度には鳴いていた。過去の記憶はないが、暑さとの関係はこんなものだったのだろうか。

 今日の鳥たちだが、十全交通本社あたりの電線の上にはムクドリだろうか、10羽近くの各々が飛び立ってはまたそこへ戻ってくる、といったことを繰り返していた。

 他方、先日は嬉しくさせてくれた第一中学の門柱脇の桜の木に集まったヒヨドリであるが、きょうは全くその気配がなかった。その後の道筋でも、カラス以外は鳥の姿はなかった。

 カラスといえば、カラスに限らずであるが、かなりのスピードで飛んでいて止まるときは全く揺らぎなくピタッと止まる。例えば、電線、ポールのてっぺん、などにである。体操競技の選手の着地が、えてして”おっとッと”という形になったりするが、鳥たちにはそれがない。たいそう感心してしまう。

 いつもの第一中学の風速計は、西を向いていたが、回ってはいなかった。

 

2024/09/24

 多くの人が待ち焦がれた秋がようやく訪れた。一時的な秋と言われているけれど、正直嬉しい。

 マンションを出てまず感じたのはこの秋の空気である。涼しい。強いビル風のせいもあって、やや寒いくらいである。歩く人たちの服装も、半分ほどの人が長袖に変わっていた。ほんとに秋万歳である。

 虫の声に耳を澄ませて歩いたが、まだ、かすかに、どこかで鳴いている。軽やかな鳴き声ではなく、ジジジジという、それもそう大きくはない音色である。

 鳥の方は比較的元気であった。特に嬉しかったのは、第一中学の門柱脇の桜の木に集まったヒヨドリの小さな群れである。5羽あるいは10羽のヒヨドリが入れかわりたちかわりに枝に訪れ、葉の落ちた後の何かをツイバンでいる。目の前数メートルの距離ながら、逃げていく様子はなく、しばらく見入っていた。

 もとより、この第一中学の風速計にも目を遣った。北西よりの風を受け、かなり元気に回っていた。因みに、すぐ近くの府中のアメダスの観測では、同じ時間で北北東の風であった。こちらが気象庁の正式データとなる。前にもふれたとおり、第一中学の風速計の設置位置は北に4階建ての建物があって、風向に関して正しいとは言えないと感じている。

 

2024/09/17

 きのうは、暑さがほんの一日だけ収まって日中の気温が平年並みとなったが、きょうからはまた真夏の暑さが戻ってくるとのこと。でも、どのメディア局の気象解説では、こぞって、”週末からは本格的な秋の訪れ”を感じられそうと力強く言ってくれている。信じよう。

 そんな朝、曇り空のなかマンションを出た。先日も書いたが、桜の木の葉っぱが黄色さを増してきている。枝に着いた状態でいくつかの葉っぱが黄色くなっていて、それらは今にも落ちていきそうである。それに比べれば、イチョウや、ケヤキのそれはまだ青青さを誇っているように見える。

 虫の方であるが、心なしか、鳴いている個所が少なく、その鳴き声の大きさも小さいように、思われた。暑さは続いても、確実に季節は進んでいるのだろうか。そうあって欲しいと、思い過ぎなのであろうか。

 きょうは、妻が営んでいる菜園の方をのぞいた。夏の野菜たちは刈り取られた後で、次の種や苗を待っている状態であるが、ナスが秋ナスとして採られるのを待っている。ほかのものがなくなって、ナスが目立つということもある。

 重ねて、”週末からは本格的な秋の訪れ”を信じたい。

 

 いつもの第一中学の風速計は、東南東の風を受けて、ゆっくり回っていた。

 

2024/09/09

 きのう、鳥たちがほとんどいない、と書いた。だが、きょうは、そうでもなかった。昨日が何であったんだろう、と思う次第。我が家が借りている菜園付近にはヒヨドリがあちこちに数羽、十全交通の本社の通りでも電線にムクドリまたはモズの数羽のちょっとした集まり、「カクヤス」の交差点や、「ケヤキ並木北」など、ちゃんと(?)何羽かいたのである。

 

 気温や湿度、きのうとの違いは感じられない、のにである。不思議でならない。

 

2024/09/08

 ほんの2、3日のちょっとだけ涼しいという日があったかと思えば、また日中は35度近く、そして朝も熱帯夜という日が戻ってきた。でも、そうありながら、桜の木の葉の少し少なくなってきた姿に、一応季節は進んでいるのだなぁと感じる。ルミエールの近くの桜の木など、木の下から空を透かし見ると、1割から2割、空が透けて見える。地上の歩道には、相当程度に散った跡があり、歩道脇にそれらが履きあげられていた。このような季節の移りは、生き物たちには、より感じられているのであろうか? きょうは鳥たちの鳴き声がほとんどない朝であった。酒店の「カクヤス」の交差点では、いつもならあちこちに鳥が見られてにぎやかな鳴き声が訊かれるところ、きょうはそれもない。ようやく「けやき並木北」の交差点まできて、何羽かの鳥の鳴き声に接して、妙に安心した。

 

 いつもの第一中学の風速計は、西の風を受けて、ゆっくり回っていた。

 

2024/09/01

 9月に入った。

 数日前からの台風10号は、九州の西海岸を北上した後、熊本付近で急に右に舵を切って山口の周防灘に抜けた後、今度は松山から四国を南東方向に抜け、いまは紀伊半島の南東海上に至っている。この後の予報によれば、急に北北西に舵を切ってゆっくりと進み、そして本州に再再上陸するのだそうである。台風観測を趣味の一つにしている自分にとっても、60数年のなかでみたことのない進路である。1964年の台風14号というのが最も奇異な進路を辿ったものとして記憶にあったが、今回のそれは1ランクも2ランクも奇異なものである。多分、歴史に残るかもしれないと思うのである。

 トコトコ関係の方の話であるが、台風の雨続きで気温も多少下がってきて、これは一時的かもしれないが、きょうあたりはメッキリ秋の装いを感じさせている。虫の音は盛んで、他方、セミの音は全くなくなっている。セミの音のことだが、近年の長い夏との関係で思うに、昔は夏の終わりにもセミの音を聞いたように記憶しているが、昨今は、まだまだ暑いと思われる頃でも早々に”セミのとき”は終わってしまっているように感じられる。

 きょうは、夜半の雨でか、鳥たちは姿も声もほとんどなかった。見たのは、南へ一直線に飛んでいく10羽ほどの鳥の群れであった。大きさからハトではなく、自信はないがツバメの南紀行かもしれない。とにかく、旋回の様子など全くなく、南へ、揃って一直線に飛んでいったのである。

  いつもの第一中学の風速計は、見損じてしまった。